2007/10/30

ホヅプロなど

間が随分空いてしまったが、10月は結婚式の2次会が3発で寿ナントカになりつつ、講演会も3発聞きに行ったりしつつ、1年ぶりに風邪引いてしまいました。

聞きに行った中では、雑誌「OSOTO」の編集長でランドスケープアーキテクトの忽那さんの話が印象に残った。大阪公園協会の誰も読まない雑誌を、発行部数6000部までに伸ばした経緯など。用途と機能のサインが溢れた都市空間にこそ、「お外」を使いこなすガイドブックが必要なのだと思った。

週末は再び島ヶ原へ。

隣の吉永棟が完成したので、いよいよSPACESPACE棟の建設も本格的に。

軸組の残りを取付つつ、1階床板を設置。

2日目には外壁の板貼りが2面完了。

2週間に1回、休日毎の施工なんで時間がかかってるように感じるが、今回の施工日を含めて、まだ延べ5日しか経っていない。家具や建具の製作を含めても延べ1週間とちょっとあれば十分完成しそう。製材所の大屋根下を埋め尽くした後、島ヶ原のちょっとした広場などに、待合い所やベンチの代わりに置かれていくと、面白い「お外」が出来そうだ。

2007/10/10

島ヶ原から地方を考える

先週末、小屋作りの第2回施工日に三重県の島ヶ原まで。今回からいよいよSPACE棟の建設。

10/6 11時から施工開始なので、7時起きで現地に向かうも、大工が他の現場から戻らず昼食後にスタート。土台 の寸法からいきなり間違い始めるが、徐々にペースが上がり始める。複雑な上に部材の多い建物なので、難航しつつ1日目は土台に柱が付いた状態で終了。頭繋 ぎが無く、45□の柱が揺れていてなんとも危なげで、今にも倒壊しそう。隣の吉永棟は1回目の塗装が終わった状態で終了。

夕食後に温泉に入り、穂積家に泊まりに。しかし、これまで男子学生はテントで女子は製材所の上で寝ていたが、余りの寒さに男子から泣きが入り、男子が製材所の上、繰り上がりで女子は穂積家1階で泊まることに。

10/7 朝食後、作業再開。スペース棟は軸組の続き。順番を間違うと付かない部材があるので、大工のサポートをしつつ寸法チェック。どうやら、大工は伝 統建築のカンで作っていこうとしてるようだが、なかなかそうもいかない様子。昼食等の休憩をはさみつつも、なんとか柱を水平に繋ぐ。

10/8の現場監理を このプロジェクトの学生責任者の内田君に任せるべく、図面と施工手順を説明。吉永棟の完成を見届けた後、学生の群れに見送られつつ帰宅。翌日、何度か電話 があったが、屋根の梁掛けまでは終わった模様。お疲れです。写真は2日目の終わり。

このプロジェクトをやっていて感じるのは、我々が作る建築が、地域の人に期待され、喜ばれているということだ。そんなに当然のことでは無い。昨今、都市部 での建築(特に公共建築)への期待は薄い。地方都市での建築に対する期待は遙かに大きく、切実である。そういった現れの1つかもしれない。

これまで建築家は、大都市の問題に多く取り組んできた。しかし、それと表裏の関係にある地方都市や、人工過疎地の問題にはそれほどには取り組めていない。 今後、バブル時代の箱モノとは違った方法で、建築家が地方に踏み込んでいくことが、より必要になるのではないだろうか。と、ちょっと考えてみた。

2007/10/09

言っているうちに

大学の授業が始まっています。毎週月曜日13:00〜18:00まで。途中に休憩が入るとは言え、5時間立って授業するのはさすがに疲れます。今年は例年より人数が多いようです。1人につき20人程度の学生を受け持ちます。

まだ、設計の初歩の初歩で、手書きで図面のトレースをやってます。普段の業務で平行定規なんか使うことなど、もはやあり得ませんが、見本を見せろと言われ て断るわけにもいかないので、たまに、手本で線を引いて見せたりします。1ヶ月ぐらいはトレースで、その後、設計課題が始まります。